イベントも無事終わったので、展示作品について簡単にご紹介していこうかと思います。
庚申塔コーナーでは、関根さんの知り合いの現代美術家6名に「現代の庚申塔」というテーマで作品を制作してもらいました。
自由に作ってください、とお願いしたら、みなさんほんとに無手勝流に自由に作ってくれました。どの作品も一見とても庚申塔とは思えない形ながら、庚申塔のエッセンスをしっかりと汲み取っているのはさすがです。
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今井紀彰「アスファルト道祖神」現代のアーティストに庚申塔を作ってもらおうとしたとき、かつて十円玉でできた巨大な大仏の足を地下室に展示したことのある今井さんが頭に浮かんだのは自然なことでした。
アスファルトになった現代の往来に鎮座しているのは自動販売機である、というアイロニカルな解釈はなるほど腑に落ちます。
数ヶ月前に不慮の事故で大怪我を負った今井さんは、現在もリハビリのために入院中で、今回は無理を言って参加してもらいました。一日も早い回復を祈っております。
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黒須信雄「虚裔(うつろのちすじ)による庚申的構成」黒須さんは画家ですが、近年は木彫において新境地を開いています。
手に持てるぐらいの大きさの白木を彫って独特の「神像」を制作しており、現代の庚申塔を委嘱するにあたって、やはりすぐに頭に浮かんだアーティストでした。
どろどろとした坩堝の中身が固まりかけているかのようなフォルムは端的に美しく、混沌から秩序が生まれかけているようにも見えます。
それらが載っている六角形の台座は、60日に1度訪れる庚申の日に対応しているそうです。
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タカユキオバナ×栃木美保「この道はいつか来た道」入口で出迎えたキューピー人形が地下室の奥まで来場者を導いてくれます。
青面金剛像の体つきがなで肩で丸みを帯びた幼体である、というところからオバナさんはキューピー人形を着想したそうです。その人形が乗っている麻の帯を担当したのが栃木美保さん。
この帯の道は産道であると同時に、音の道でもあるそうです。来場者は希望すれば、任意の一音を選んで十六角形の紙に書き込み、帯の間に差し込むことができます。こうして展覧会の会期が終わるときには、一綴りの詩ができあがるのです。
オバナさんの仕事については、「現代詩手帖」の7月号に、詩人で足利市立美術館の学芸員である江尻潔さんがわかりやすく解説してくれています。
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武田海「兎頭(ととう)」そもそもこの展覧会を思い立った切っかけが海さんでした。
いつだったか、現代のアーティストに庚申塔を作らせるとしたら誰かと関根さんに訊ねたところ、海さんの名前を挙げたのでした。昨年の個展で発表した阿修羅/サロメ像が、青面金剛像に似ているというのです。そんな話をしたあたりから関根展が一気に具体化していったのでした。
今回の展示の中でとりわけ目立つこの作品は、正面から見ると巨大な男根ですが、裏にまわると兎、というダブルイメージになっています。作家自ら書いたキャプションによれば、ファルス中心主義を脱構築している、といったところでしょうか。
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武盾一郎「線譜 庚申塔」実際の庚申塔に刻まれた文字を、写真からトレースしてカリグラフィーを描き、さらにそれをポンジに印刷して幕に仕立てています。下の写真がその原画。
初めて地下室に来る人はたいがい道に迷うのですが、何人かの人がこの幕のおかげで遠目にすぐわかった、と言っておりました。この展覧会のメルクマール的な作品です。
その武さんが山根康弘さんとの対談形式で、メルマガの「デジタルクリエイターズ」に今回の展覧会評を書いてくれています。さすがに関根さんとは旧知の仲だけあって、その仕事や展覧会のコンセプトを的確に読み取ってくれています。
http://archive.mag2.com/0000005757/20140725120000000.html ●
戸野倉あゆみ「三尸の虫を食べる眠らない魚」戸野倉さんはアートスタジオDunjeonのオーナーでもあります。
天と地の間で泳ぐ針金でできたモビールの魚たちは、タイトル通り三尸虫を食べてくれるのでしょう。
三尸とは庚申の日に人の体から抜け出し、その人の罪を天帝に告げ口するという虫です。告げ口されないようにその日には夜通し眠らず庚申待ちを行うようになり、その庚申待ちの記念に建てられたのが庚申塔なのです。
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