群馬在住の民俗学者・川島健二さんが今回の展覧会のために寄稿してくれたテキストを掲載します。
つい先だって亡くなられた民俗学の泰斗である谷川健一さんは川島さんの師にあたり、その死が淡く重ねられた感慨の深い文章になっています。
川島さんには22日のトークイベントで、講演をしていただく予定です。
根の国を開く 川島健二
「常世」が現世から他界へのまなざしであるとすれば、「ニライカナイ」は
他界から現世へのまなざしである。一方には求めて得られない翹望があり、他方には慈愛にみちた庇護の感情がある。
(谷川健一『常世論』 傍線川島)
はじめに南島の洞窟(ガマ)が想起された。湿り気を帯びたよどんだ空気が呼び寄せたのかもしれない。そうなれば出雲の〈黄泉の坂、黄泉の穴〉猪目(イノメ)洞窟も、イザナミが葬られたという熊野の〈花の窟〉も、もう遠くはなかった。境界を示す言葉を名に持つ川(石神(シャクジ)井川)、そのほとりにある地下室は、時空をつきぬけて到来した穴の集積空間となった。
根の国は、何よりも哭きいさちるスサノヲが切望した〈妣の国根の堅州国〉である。そしてその地の住人となったあとは、スサノヲがわが子のオホナムヂに数々の試練を与え、大国主命として転生させる死と再生の舞台である。出入口にあたるのは黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)、すなわちこの洞窟である。根の国は限りない大地の力と直接する。
が、洞窟は海の他界への通路でもあった。沖縄のニライカナイ(海の彼方の楽土)のニは根であり、火や稲種さらに人々のイノチまでもたらされる根源的な場所を意味した。根の国が罪ケガレを受容するならば、ニライカナイも災いをなすモノ(たとえば
ネズミ)を受け入れた。根の国とニライカナイ。この根源的な場所に集積された力。それに触れずして現世の存立は困難だろう。根の国を開き、他界と現世の交通路を普請(フシン)すること。それは新たなコスモロジーの創出であり、〈死者と生者の共同体〉の確かめでもある。死者は鎮魂を待つだけの存在ではなく、非力な生者が希求する尊い後見人ではなかろうか。
2013.9.4.記
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