今回の500枚に及ぶ連画は、5日間/延べ15時間かけて作られました。
初め1人の持ち時間を3分間に設定してみたところ、皆さんかなり描き込んでしまえて即興性に乏しかったため、2分に短縮。
最終的にさらに削って1分間にしてみたら、考える暇もなくなり、反射的に思いがけないイメージが出てくるようになって俄然面白くなりました。
また、連画では描き手それぞれのキャラクターが顕著にあらわれます。
煽るひと、壊すひと、バランスを考えるひと、ぼやくひと。
なので、誰が誰の後に描くか、ということが少なからず流れに影響を与えるため、順番は籤引きで決め、固定せず定期的にシャッフルしました。
そうすることで、セッションごとに多様な展開が生まれたのではないかと思います。
おおよそ以上と同じ条件で、先日の公開制作も行われました。
違いといえば、枚数を45枚にしたこと、トレーシングペーパーを少し大き目にしたこと、衆人環視の中で緊張感がやや増したこと、くらいでしょうか。
なにを描いてもよいのだから、絵心のない自分でも参加できるのではないか、と思って初めは観ておりましたが、このメンバーの具象も抽象も自在にこなす融通無碍ぶりを見せつけられると、なんだかそんなことも言えなくなります。
手の教養というべきか、時おり名画のパロディがこともなげに描かれたりして、そうそう真似のできるものではありません。
不思議によく登場したのはダリやキリコなどで、これは連衆の好みもありますが、どうもそれだけではなく、連画というものの性格に深く関わるように思われます。
とりわけ偶然性と無意識の沃野に可能性を見出したシュルレアリスムとの親和性は強く感じたところで、実際、シュルレアリストたちは「優美な屍骸」という連画にも似た集団制作を試みていました。
休憩をはさみつつ2時間ほどの公開制作を終えた後、たまたまその場に居合わせた女性アーティスト4名で20枚の連画をやってみました。
すると、男性たちによる連画とはまったく毛色の違ったイメージが紡ぎ出されたのには喫驚。
やはり連画はやるものなのかもしれません。
会期中、トレペと画材を用意しておりますので、我こそはという方は、ぜひお申し付けください。
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