第1部は、チェサという行事の形をとりつつ観客をも巻き込んだ、すぐれて演劇的なパフォーマンスとなりました。
舞台ではチェサが行われています。
本来写真などが飾られる場所には、赤いフレームだけがぶら下がり、下手にチョゴリを着た少女、上手に悲嘆にくれた様子のやはりチョゴリ姿の男性が座り、もう一人、喪服姿の男性が舞台の袖に立っています。
少女は幼少の思い出を語り、ついで喪服の男性が高校無償化裁判に関するコメンタリーを淡々と読みあげます。
そこへ「조선의 노래 (朝鮮の歌)」「고향의 봄 (故郷の春)」「아리랑 (アリラン)」「봉선화 (鳳仙花)」といった、学校で習う誰もが知っている歌や、時代を象徴する歌が挿入され、観客が1人ずつ前へ誘導されて正式な作法に則ってクンジョル(大礼)をします。
少女のモノローグは小学1年生から高校にいたるまで11回繰り返され、それに続いて裁判についてのコメンタリーと歌と観客によるクンジョルも同様に反復されます。
鄭柚奈さん(少女役)と崔誠圭さん(父親役)
千菻華さん(歌)と李龍午さん(演奏)
察しのよい観客は、チェサがこの少女を祀るためのものであり、悲嘆にくれる男はその父親なのだ、と気づくでしょう。しかし、最後にこの構図は反転されます。少女は客席に向かって赤いフレーム越しに「この額縁の中にいるのはあなたたちです」と表明して劇は終わります。
そもそもこの企画は、在日コリアンにおける朝鮮語(の詩)というテーマでなにかできないかと相談したところから始まったのですが、在日の人たちにも様々な立場があり、朝鮮語に対してアンビバレンツにならざるを得ない複雑な状況があることを知りました。
そして、こちらの安直な発想は換骨奪胎され、紆余曲折を経て、「自分たちにとっての詩とは、高校無償化裁判の判決文である」という解釈のもと、このようなパフォーマンスに結実したのでした。
崔誠圭さんが参加者の思いを書いた短冊を炊き上げて第1部は終了。
第2部では、舞台に供えられたニラやタラのチヂミ、もやしやほうれん草のナムル、タコ、イシモチの塩焼き、小豆の蒸し餅、果物などをとりわけて、みんなで頂きました。
これらの料理のほとんどは、メンバーのオモニたちが作ってくれたものです。おいしかった。
宴会の座興で、劇中の歌を担当した千菻華さんが「チョゴリ」という歌を披露してくれました。
悲しい歴史を持つチョゴリは祖国と故郷へ飛ぶための羽なのだと歌う、その美しくも切ない歌詞を書いたのは、他ならぬ今回演出を手がけた朴成徳さん。17年前に作られたこの曲は、今も連綿と歌い継がれているそうです。
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