フジタヨウコ「不思議の国のアリスの街」大小さまざまな陶製の館が、海に浮かぶ島嶼のように並べられ、この一角だけ地中海かどこかの風景みたいな雰囲気を漂わせています。
これら切妻屋根の館のいくつかは、上下対称になっていてひっくり返すことができたり、覗き穴から内部を見ることができたり、また鑑賞者が配置を自由にアレンジできるようになっています。
ファンシーではありますが、一番大きな作品の物量感などはちょっとしたもので、ほのぼのとした中にも意外にパワフルなものが感じられます。
田島鉄也
「遠くの空の微光の方から ふるへる物象のかげの方から
犬はかれらの敵を眺めた
遺傳の 本能の ふるいふるい記憶のはてに
あはれな先祖のすがたをかんじた。」一室を漆黒の洞窟のように仕立てあげ、靴を脱いで中へ入ると、正面の壁に埋め込まれているのはアンモナイトの化石、薄暗闇に目を凝らせば、周囲には毛皮やラメにきらめく動物の角のようなオブジェが置かれ、床にはなぐり書きされた萩原朔太郎の詩を読みとることができます。
田島さんは『「野生」論』という著作を物しただけあって、見る者の眠れる原初の感性に向けて語りかけ、挑発しているかのようです。
外山文彦「Landscape」日常よく目にする有孔ボードが仰々しくフレームに収められ、あたかも絵画作品のように壁に掛けられたり、立体作品のように床に置かれたりしています。仔細に見れば、ボード材の穴の中には鏡などが仕込まれています。
ここには、ありふれた素材を美術作品として成り立たせること、さらにそれを地下室という空間に絶妙な間で配置することで、二重の異化効果がもたらされているように思われます。
大和由佳「発話とぶどう」壁に投影された二つの映像。一つには幼児たちの顔が、もう一つには、屋上で紫色の布を干す作家本人の映像が流されています。
二つの映像は同期しており、幼児が声を発すると、紫の布が干されるようになっていて、そこでは幼児の未だ言語ならざる声が、はき出されたブドウの皮としてとらえられています。
大和さんは、このような名状しがたいフェノメナルな「こと」をイメージや物に変換し、洗練されたかたちで観せることに長けているようです。
PR