どちらかというとアクの強い展示が多い地下室ですが、河田さんはその対極にあるような作風。
鑑賞のための取っかかりがあまりに少なくて、とまどう来場者もちらほら見受けられました。
本展は二つの映像作品を中心に、小さな平面作品や音などで構成されています。
まず壁に大きく投影されたビデオ作品「真昼の夢」。
大画面の前に佇んでしばらく眺めていても、ヴィジュアルというべきものはほとんど見えません。ときおり赤や黄色がにじむように浮かび上がるのが辛うじて認められるばかり。
画面の脇にはペイントをほどこされたポストカードがひそやかに展示されています。
会場の一隅に置かれたラジカセからは、屋外でフィールドレコーディングされたガヤ音が流れています。
別の部屋のビデオ作品「事の次第」は、小さく投影されています。
低めのポジションから路面をとらえたフィックスの映像がえんえん続き、画面の中はやはりほとんど変化がなく、たまに落葉が風に舞ったりするくらい。
ここでも葉の形に切り抜かれたポストカードが数点壁に貼られ、ラジカセからなにかを朗読しているような声が聞こえてきます。
※
平面作品には、すべて今回の展覧会の案内ハガキが使われています。
彩色されたり、切り抜かれたり、削られたり、貼り合わされたりしたものを20点ばかり、会場のここかしこに余白をたっぷりとって配置。
テーブルに置かれた2台のラジオからは、始終チューニングのわずかにずれた放送が小さく絞られた音量で鳴っています。
※
※
映像といい平面作品といい音といい、いずれも現代美術ではありふれた形式ですが、鑑賞者をとまどわせるのは、作家の手の痕跡が最小限にとどめられているからでしょう。
作品として成立するぎりぎりのところで、絶妙なバランスを保ちながら、積極的な意味を発することなく嫋嫋と空間に作用しています。
おそらく河田さんはここで、美術の制度や作品行為について、前衛としてラディカルに問うているのではなく、また作家性を手離しているわけでもありません。
これまでの作品を知っているひとには、落葉にしろ、聞こえてくる音にしろ、間の取り方にしろ、いかにも河田さんらしいセンスで隅から隅まで統御されていることがわかります。
河田さんの作りだす環境をよりよく体験するには、音楽のアナロジーで考えるほうがわかりやすいかもしれません。
たとえば、イーノが『ミュージック・フォー・エアポーツ』など一連の音楽で試みているコンセプトを美術という領域でやれば、それは河田さんの作品のようになるのではないかと思われます。
(※印以外は河田政樹さんの撮影)
PR